大内宿つづき
下野街道しもつけかいどう宿場
大内宿は、
江戸時代に会津若松と日光を結ぶ
会津西街道の宿場町として整備されました。
江戸時代には、宿屋や問屋が軒をつらね
幾多の旅人たちがこの宿場で旅の疲れをいやしました。
明治以降、近代化から取り残されていきましたが
おかげで、昔ながらの景観が今に残ることになり
昭和56年には、
国の重要伝統建造物群保存地区の選定を受けました。
大内宿は、伝説の村でもあります。
言い伝えによれば、平清盛の全盛期に
反平氏の挙兵をした高倉以仁王(後白河天皇第二皇子)が
戦いに敗れこの村に潜行したと伝えられ
子・孫へと語り継がれています。
「大内宿町並み展示館しおり」より抜粋
由美かおるさんが入っていたようなお風呂
殿さまが用を足したと思われる雪隠
ねぎ一本で食べるねぎそばは食べず^^